翻訳と辞書
Words near each other
・ 池田学 (画家)
・ 池田学園池田中学・高等学校
・ 池田学園池田中学校
・ 池田学園池田中学校・高等学校
・ 池田学園池田小学校
・ 池田学園池田高等学校
・ 池田学徳
・ 池田宇隆
・ 池田守男
・ 池田宏
池田宏 (内務官僚)
・ 池田宏 (映画監督)
・ 池田宏之助
・ 池田宏平
・ 池田宗司
・ 池田宗弘
・ 池田宗政
・ 池田宗春
・ 池田宗泰
・ 池田定保


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

池田宏 (内務官僚) : ミニ英和和英辞書
池田宏 (内務官僚)[いけだ ひろし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いけ]
 【名詞】 1. pond 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
内務 : [ないむ]
 【名詞】 1. internal or domestic affairs 
: [かん]
 【名詞】 1. government service 2. the bureaucracy
官僚 : [かんりょう]
 【名詞】 1. bureaucrat 2. bureaucracy 
: [りょう]
 【名詞】 1. official 2. companion

池田宏 (内務官僚) : ウィキペディア日本語版
池田宏 (内務官僚)[いけだ ひろし]

池田 宏(いけだ ひろし、1881年(明治14年)7月30日 - 1939年(昭和14年)1月7日)は、日本の内務官僚都市計画家。都市計画法(旧法)の制定に携わり、内務省にあって「切れ者」という異名をとった。関東大震災後の東京市助役、京都府神奈川県知事(官選)も務めた。
== 略歴・人物 ==
静岡県生まれ。旧幕臣、郡長・池田忠一の長男として生まれる。東京府立一中一高を経て、1905年(明治38年)、京都帝国大学法科大学法律科卒。同年、内務省に入り地方局に勤務した。その後、奈良県事務官・第二部長〔『官報』第7061号、明治40年1月15日。〕、神奈川事務官、三重県事務官を経て、1911年に土木局道路課長として本省に戻った。1913年から翌年にかけて欧米視察に出て、ロンドンの万国道路会議に出席、各国を巡り、特にドイツの都市計画制度から大きな影響を受けた〔渡辺俊一『「都市計画」の誕生』1993年、P170-171。〕。帰国後、明治時代以来の懸案であった道路法制定に取り組む(次の道路課長佐上信一のときに実現)。
後藤新平内務大臣に認められ、1917年、後藤内相の指導力により創設された内務省大臣官房都市計画課の初代課長に就任した。都市計画法案を起草し、同法及び市街地建築物法案を審議する都市計画調査会の幹事を務めた。また1917年に創設され、内務省に事務局がおかれた都市研究会(会長は後藤)の創設メンバーの一人である〔越沢明『東京の都市計画』岩波新書、1991年、P13-25。〕。
1920年、内務省に社会局が創設されると初代局長に就任した(内務省の社会局と衛生局はその後、厚生省の母体となる)。1920年12月、東京市長に選出された後藤新平は3名の助役に内務官僚を据えた。第1助役は永田秀次郎、第2助役は池田、第3助役は前田多門であり、後藤新平は東京市政の日常を3名の助役に任せ、「疊(たたみ)」と称した〔"畳"の旧字体「疊」(3つの"田"の字が重なっている下に"宜"があるため、「市政は永・池・前の3人に任せれば(よろ)しい」の意である。越澤明『後藤新平 -大震災と帝都復興』ちくま新書、2011年、p.193。〕。後藤市長の東京市政要綱(いわゆる8億円計画)の策定や、財団法人東京市政調査会の設立にあたった〔同上、P182-198。〕。1923年4月、後藤はソビエト連邦との国交回復にあたるため市長を辞任、池田も6月に助役を辞し、しばらく京都の山荘で過ごした〔渡辺前掲書、P171-172。〕。
1923年9月の関東大震災後、内務大臣の後藤新平が帝都復興院を新設してその総裁になると、理事兼計画局長に就任し、帝都復興計画の立案に関わった。復興院では、土地区画整理をめぐって、副総裁宮尾舜治とともに消極的な拙速主義を取り、積極主義の副総裁松木幹一郎や建築局長佐野利器と対立して、計画縮小を招いた〔駄場裕司『後藤新平をめぐる権力構造の研究』(南窓社、2007年)P174-176。〕。
1924年12月、京都府知事に転出し、1926年、神奈川県知事をつとめる。1929年に内務官僚を辞する。
退官後は大阪市立大学の前身である大阪商科大学市政科を中心に専修大学、京都帝国大学などで教鞭をとる。
その間、都市調査会の機関誌『都市公論』東京市政調査会の機関紙『都市問題』などを通して都市問題、都市計画全般の研究、評論に尽くした。その生涯に200余の著作(単行本、雑誌論文等)を残した〔『池田宏都市論集』巻末に著作年表がある。〕。
1939年、腎盂炎により死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「池田宏 (内務官僚)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.